平ジェネFoにみる時間と存在と意識のこと

遅ればせながら、「仮面ライダー平成ジェネレーションズforever」を観てきました。映画館を出てしばらくは二語文を口にできなくなるくらい興奮する100分間を過ごせてとても幸せです。The感無量。
多分何回だって平成ライダーたちの戦いにその時々の体験や考え、想いと重ねた“何か”を感じて、その都度泣いちゃうんだと思います。

また、本編もさることながら、エンドロールが非常に“アツ”く、一介のポタクはとんでもないトドメを刺されてしまったため、本当に「やば…やば……」しか言えなくなってしまいました。ちょっとした即席ケツデカピングーて感じ。空耳字幕つけて欲しい。
でも、そんな状態になるくらい、非日常であるはずの仮面ライダー達に降りかかった出来事を日常である自分の生活に引き付けて観ていて、だからこそすごく感情に訴え掛けられたんじゃないかなと自己分析をしています。ケツデカピングーのくせに(まだ言う)。

意気揚々と鼻息荒く、こうやってはてブに感想を書き連ねている割に、実はお恥ずかしながら仮面ライダー超ビギナーです。仮面ライダー鎧武に高杉真宙くんが出演している旨を知り、ぼちぼち学びを深めていた時に、東映特撮YouTube公式チャンネルの策略に見事ハマったタイプの新規で(平成ライダー全シリーズ1、2話無料配信のアレ)、本当ににわかの癖にでかい顔すんなって感じなんですけどどうしても書き綴っておきたくて〜!許してください何でもしますから(なんでもするとは言っていない)

そんなライダービギナーのすごく個人的な感想なので「いや監督はそんな事言ってないインタビュー読み返してこい」とか「妄想乙」とか言われてしまいそうな内容になると思うのですが、傲慢なオタクなので書き進めていきたいと思います。

平ジェネFoを見てまず思ったのは、仮面ライダー達の生き様を基軸とした、時間と存在と時間と意識のお話だなということです。そんな同志がいるのではないでしょうか。存在と時間とかハイデガーぽい感じの。

ソウゴが仮面ライダージオウである自分の存在に不安を抱いたシーンがあって(予告にもある雨の降るシーン)、戦兎がいいこと言うんですけども。そろそろ上映終わってしまうので観てない方は是非円盤で観てほしいんですけども。あれって彼にとって万丈という絶対的な存在がいるからこその肝の座り方じゃないですか。万丈がいる限り戦兎の存在は揺らがないじゃないですか。逆もまた然りなわけですが。

何かの存在が虚構か現実かの問題って仮面ライダー特有のものではなくて、私たちだってそういう疑問を忘れられる環境にいるっていうだけで、実はすごく曖昧な存在だったりするわけじゃないですか。

だって私が私として今ここに生きてることの証明ってめちゃめちゃ難しいじゃないですか。歴史上の人物みたいに文献なり写真なり絵画なりでこの時間に存在したことをピン留めして証明してくれるものを100年先まで残すだけの価値もないし、まあ墓石に名前が刻まれたら御の字かなというか。卒業アルバムに写真と名前がなかったらあのクラスにいたことすらなかった事になるかもとかたまに思います(正直たまにあの時隣の席だったの誰だっけ…となったりして隣の席だった誰かの存在が消えていたりする)。

あるいは都合よく記憶を書き換えてて、自分に都合の悪いことをなかったことにしていたりもします。これに関しては人間の防衛的な本能なので許して欲しい。当然のことながら、よくよく考えて文章にしてみると、改めて人の記憶に依るものってすごく不確実で曖昧だと思い知らされるのです。

私よく自分が好きだった曲を忘れちゃうことがあるんですけど、記憶の中から消えたら、私の中ではその曲は無かったことになってしまう。この世に存在していないのと同義です。たまたままたどこかで巡り会えたらそこで存在が取り戻されるけれど、でもその瞬間にたどり着くまでは(そもそもたどり着けるかも運次第)、その曲はわたしの中に無いんです。この世には確かに存在していて、そのメロディーと歌詞が意味を持って奏でられているけれど、無いんです。

自分が転んじゃった時、それを見てる人がいなかったら、自分自身がそれを覚えていなければ転んだ事実は消えてなくなって虚構のものになるんですよね、たぶん。存在していても、認知されなければ、それはどこまでも偽物なんです。

経過する時間と、そこにある存在と、存在を検知しピン留めしておくための意識、すごく複雑な中に生きているし、ともすれば混沌の中で自分を見失ってしまう。地に足がつかないというのはいささか怖いことです。芯をもって生きてきたはずでもその存在すら幻かもと不安に思い始めたら最後、自分として生きていくための足がかりが何も無くなる気がします。

そんなことを考えた上で、モモタロスの「俺達もお前を忘れるかよ」ってセリフ、CMで見た時にはわぁい電王だぁ!くらいの気持ちだったし、映画の感想もこんなに思い巡らすことになるとは正直思ってなくて、いまさらじんわりと言葉の重み感を味わってます。
イマジンたちの観測者でありながら、良太郎もまたイマジンたちに観測されている。お互いに忘れないくらい熱視線(語弊があるな…)で観測し合ってる。

しかもその言葉を受けて最後にニヒルに笑ったのは紛れもなく良太郎じゃないですか。一瞬目の色が青じゃなくなった気がして!あれがもう本当に嬉しくて嬉しくて〜!ちゃんと“電王のみんな”が参上している〜と。オーナーの杖使いも流石でしたね。たまらんです。


それと関係なくうぉぉおおお!だったシーンも良いですか?語りますね(確認とは)!

ちびっ子がエグゼイドとゴーストに助けを求めたら秒で助けに来てくれたとこ。あそこで「すごくヒーローの姿が描かれてるぅ〜!」となりました。困った時・ピンチの時、すぐさま迷いなく助けに来てくれる。敵を倒してくれる。そんな経験をしたあのちびっこ2人は絶対に仮面ライダーのことを忘れない。大勢の街の人たちもそう。あんなピンチの中、懸命に戦ってくれた仮面ライダー達を見て、助けられる経験をした。精一杯応援もした。あんなにたくさんの人たちの中に存在するんだから、やっぱり仮面ライダーは不滅なんですよね、現実的にも映画の比喩としても。しかも私たち映画の観客がしかと胸に刻んでいる。仮面ライダー達の存在は紛れもない現実になる。すごい。

本当は兄弟のことととか歴代ライダーのことととかなんかその辺のことを書き連ねられたら良かったんですけど、めちゃめちゃ「映画を題材にして思考を展開した」結果を綴っただけになってしまいました。

あ!大バトルに向けて平成ライダーが荒野を駆け抜けるところでディケイドの自撮りっぽくなってたコマ割りすごく好きでした!かわいい!ウィザードとキバの戦闘シーンもかっこよかった!コウモリだ〜!クウガは「そうだよね〜!!!!」ってとこでキック御見舞してくれて最高だった!アギトは動きがやっぱり綺麗!超冷静に響く「ファイナルベント」と龍、クールに熱かった!ブレイドの敵を切った後に剣を指でスッ………ってするやつ!すき!オーズはメダル撫でるところ〜!ほんともう言葉にできない〜!など。やっぱり円盤を買ってもう一度“フェティシズム”を刺激してくるシーンを探す営みをしたいなと思いました(唐突)。

というか公式がYouTubeにあがていたメドレーに使われてる映像、だいぶ本編から出してくれてたんだ〜と映画を観てようやく気がつくなどしました。感謝するばかり。

実はこれ先月(1月頭)くらいに下書きを始めてさっきようやく書き終わったという熟成が進んだ日記でして、今はもう円盤の発売も決まり、ジオウはIIに変身しだし、歴代ライダーOP集発売のお知らせが来たりとあの頃よりだいぶ世界が前進しておりますね。びっくりです。気づけばジオウIIの変身音大好き芸人と化していました。重い音かっこよくないですか?

と長々書いたんですが、何度も言うように本当に個人の感想でしかないし多分映画のことより思考過程の整理がメインになっていると思うので、純粋な映画の感想じゃなくてすみませんという感じです。

語るだけ語り尽くして満足したのでオタクは筆を置きます。以上日記でした。